京都を舞台にした小説等々が心の底から苦手なのはなぜだ
京都木屋町を舞台にした飲み屋をめぐる学生くんの話や、なんだかんだ(実際途中でやめるのがほとんどなので覚えていない)あると思うのだが、異様に苦手で読了した試しがない。
本については、面白かろうが面白くなかろうが大体最後まで読むので、自分にとって特別な感覚だ。良くも悪くも。
読了がつらかったと言えば、東野圭吾さんの「パラドックス13」も中盤でオチが読めてしまい、「いや、まさかな、もう一ひねりあるはずや、、」と期待しながら読んで、予想通り過ぎるオチで、「読むんじゃなかった、、、」とショックを受けたのも記憶に新しい。
それはともかく、こういう京都本というのは、あれだな、京都で学生時代を過ごしたり、何かしか京都に憧れがあったりする人が読むと楽しいものなのかもしれない。
木屋町と先斗町の石畳の風景がよみがえる描写とか書かれてもふーんとしか思わない。むしろ何かしか押し付けがましいもんを感じてうんざりする。
私はというと、奈良県生まれ親は鹿児島、高校卒業後転々としてて、たまたま知り合ったバンドメンバーが京都だったので、「ほな引っ越すわ」(3ヶ月後にそのバンドもポシャる)という縁もゆかりもない土地なわけで。たまたま居ついてしまって今に至るといった感が大きい。
好きか嫌いかでいくと嫌いな要素のが多い気がする。
- 飯屋さん →京都ブランドと観光地然としてあぐらかいた店多い
- 地の人 →裏で何考えとるんかわからん
- 気候 →湿気だらけ、暑いし寒い。最悪。
自分の生活圏なぞ、たかが知れてるので語るにふさわしくない気もするが(そういう点で語るにふさわしい知見って一般人のレベルではありえないような)ご飯屋さんにしてみては、特に、
京都 = 高かろう旨かろう
大阪 = 安かろう旨かろう
な気がする。
そりゃたっかい金だしたら旨いもん食えるよね。そうでもないのが大阪という印象。たたの一個人の所感だが。
じゃあなんで住んでるのかといえば、ちょっと気に入らんとこあるぐらいがちょうどいいのかもしれないと思う近頃なのでというのもある。ジジイになったらどっか隠居したんねん。
で、何の話だっけ。
京都を舞台にした小説の類がろくでもないという話だった。
が、これも一角の話、知らないだけで面白いのもあるんでしょうな、きっと。
以上、とっぴんぱらりのぷう。