コミュニケーションツール過多
過多といえば、B'zの昔好きだった曲で「HOT FASHION~流行過多」って曲がありましたな。あれ好きやってんけど、最近のライブでしてはんのかな
誰かと連絡がつかないのは意志の表れとしか思えない昨今だなと思う。
・メール
・ライン
・Facebook
・twitter
・Instagram
・ショートメッセージ
・電話
とかとか、いかようにでも連絡をつけれる、もしくは、相手の動向を確認する術がある。
そんな中で、返事がない、連絡がない、という状況は、
「確固たる意志をもって拒絶している」
としかとれないと考えると、この連絡ツールが飽和している昨今におけるコミュニケーションというのは、10年前とかと比べると、まったく持って違う意味合いがあるもんやなとしみじみ思う。
更にタチが悪いのは、SNSで、そんな中、別途投稿をしてしまったりするあたりだ。
「連絡を求めている相手に対して、連絡をしないのに、それとは別に自己顕示欲を満たす動向は行う。」
とでも解釈できるからだ。
ほー、面白いなぁと思う。
で、まぁでも無理ないのかなと思う。
人は、失わないとわからないし。
目の前にある「便利」こそが「普通」だから。
手に入れる前の事なんて忘れる事で、新たな発見を発明を生む生き物なんだろうとも思うから。
そう考えると色々残念で寂しい気持ちもちょっとは納得できる気もする。
という自分の解釈も踏まえると、結局人間は、生きていくために自分にとって都合のいい解釈をして、それを答えとするしかない生き物なのかもしれないとも思うであった。
あー、焼肉食いたい