キツネの嫁入りマドナシのブログ「まずいラーメン屋は滅びてしまえ」

キツネの嫁入りというバンドを主催する、京都にたまたま住んでいるマドナシという人間の日記と、レビューと。

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10年前友人が亡くなった。

 

 

悲しい事も楽しい事も、時折、昨日の事のように思い出せるぐらい焼きついた記憶というものがある。

 

ちょうどアバンギルドで、キツネの嫁入りのライブ本番直前にその訃報メールが来た。ライブは、Djamraさんの企画でメキシコのプログレバンド「アロンソ」との共演で異様に盛り上がった。

彼女と最後に会ったのはある大学の精神科(たぶん)、面会時間も限定され、厳重な二重扉の向こうでだった。何を話したかあまり覚えていない。とりとめもないことだった。

その頃、一週間に一回は死についての電話が夜中や日中突然かかってきていた。いつもすぐ出るようにした。出れなくても折り返す。毎回同じような内容の話。

当時、WEB制作会社にいた私は、基本終電、土日出社ありという状況で随分追い詰められていたように思う。

そんな中、ある日の電話。限界だった私は、いつもと違う邪険なやりとりをしてしまった。

 

落胆する声、失望する言葉。


それから電話の回数は減っていった。相変わらず忙殺されていた私は、文字通り色んなものを押し殺していった、自分の手で。


そんなある日、そのメールは来たのだった。


後にも先にも、「誰かに」伝えようと歌ったのは、あの日が最後だったと思う。

 

翌日会社を残業から切り上げ電車でお通夜に向かった、奈良についたのは22時
関係者はみんないなくなりお父さんと旦那さんだけ待っていてくれた。傷のついた顔を見てから、どれぐらい涙が出たか覚えがない。とりあえず、あんなに泣いたのもこれまで経験がないことだった。

翌日のお葬式でも、その状態だったが、その時、3歳のお子さんと初めて会ったのだった。

 

きっとわからんよなぁ、お母さん、もう会われへんねんで。


きょとんとしてたっけ。


そんな彼だが、先日の1年ぶり10回目のお墓参りの時、出会った彼は野球少年で、プレステを欲しがるよくいる少年だった。


おじさんの手料理を食べておばさんと談笑して、もう90にもなるけどしっかりしたおばあさんと少し話して、裏山のお墓参りをして、coccoを聞きながら帰る。

そういや、coccoって一年通してこの日しか聞かなくなった。

彼女が好きやったなぁ。


誰かが死のうとしてたら止めるし、生きてないと、悲しいも嬉しいもないぜと思うが。

 
「自分の思い通りの人生」の一つに死がある事をこの日、初めて知った。

 


あの時、あの電話で、もう少し違う言い方ができたんじゃないだろうか。

毎年、思い出す後悔。

 

ご冥福をお祈りするよ。

どうか、そっちでは笑顔でありますように。